運がいい!

『夢をかなえるゾウ』という番組を観た。
小栗旬君のファンである私は、旬君めあてにドラマを録画した。
(私はジャニーズ系のファンでもなかったし、イケメンに興味があるようなタイプでもなかったのに)
それが夫と二人で面白くて最後まで食い入るように観てしまった。

斉藤ひとりさん風語録のようなものもあって、特にすごく目新しいわけではないのに、
あの関西弁のノリがなんだか人の心を引き込ませた。

斉藤ひとりさんや五日市さんの言う「ツイテル!」と同じ言葉「運がいい」私はこの言葉を久しぶりに使ってみた。なんだかノリに近い感覚で。
偶然にもそのドラマを娘も見ていて娘も同じ感覚になっていた。
娘は職場で嫌なことがあると「私は運がいい」と心の中で何度も唱えていたらしい。

その娘が昨日の夜大泣きして電話してきた。
こんな時離れているから何もしてあげられない。
とにかく「みんな話してごらん」そう言って彼女が泣き終わるまでまって私は彼女と話した。

どうやら相性の悪い先輩にコテンパンにやられたらしい。
娘は「お母さん、もう仕事辞めたい」と何度も泣きながら言った。

私は言った。
「辞めてもいいよ。だってあなたはもう大人だし何でも自分で判断して決められる年齢になったのだから。だから好きにすればいい。
でも今までこういうことずっと繰り返しているよ。
そしてあなたはそのたびにそれを乗り越えてきたんでしょ。
嫌だ嫌だということから逃げて新しいところにいっても、それはあなたのコンプレックスとなってずっとあなたにつきまとう。ずっと一生付き合う人ではないのだから、『フン』と割り切れるくらい強くなって、それから辞めなさい。今その人と一緒にいるというのもあなたの縁なんだよ。」
そう私が強気で出た途端、彼女の口調が明らかに変った。

甘えるように泣いていた娘は毅然とした声になっていた。

彼女は「とりあえず次長に相談してみる」そう言って電話を切った。

それから待てども待てども電話がかかってこない。
心配しながらずっと電話を待った。
夫も心配してその間娘にメールを入れてた。

終電近くの時間になった頃、娘からメールが入った。
内容はとても晴れ晴れとしてむしろやる気倍増状態のメールだった。
そして家に着くと彼女から電話がかかってきた。
夜中の1時だった。

「あんな、帰りにおにいちゃんと駅であって、今一緒にコンビニによってデザートとお酒買って帰って二人でお酒のんで一時間ほど話したんやで。めちゃいろんなこと話せたわ。目と目を合わせて話したの何年ぶりやろう」

思春期以降険悪ムード。就職してから仲良しになったと思った二人は私たちがいない間に大喧嘩してこの一年絶交状態だった。
私たちが帰っても二人はまったく会話せず目もあわせず・・・

娘は本当は兄と仲良くしたかった。兄とて同じだったんだろう。

昨日娘はこんなこと言ってた。
「お兄ちゃんとちゃんと向き合うのはお母さんたちのお葬式の時になっちゃうのかな・・・って思っていたんよ。『お兄ちゃん』って呼べるのうれしいな」

上司にお酒につきあってもらって思い切りいろんな話をして、嫌いだった先輩からも「仕事がんばってね」というメールもらって、すっかり心がオープンになった娘は、お酒の勢いもあって、
駅で息子をみつけて、(今ならできる)と思って「よぉ〜っ!おにいちゃん」と声をかけたらしい。

息子は親分肌。そんなことされたら、木にものぼる。

険悪な二人を放っておいて夫のところで暮らし始めた私。
いろんなこと言われたこともあった。
でも思い切ってそうしてよかった。

私は娘に言ってしまった。「もう思い残すことはないよ・・・」と。

娘からは時々こんな電話がある。おいおいまたか・・・と思ってしまうところだったが、
旬君の番組のあの言葉がふと浮かんで、「私って運がいい!」と心の中で唱えながら聴いた。
きっとそう言う事で脳がポジティブにフル回転してくれる・・・そう信じて。
その後、強気に娘に言ったのが「克服してから辞めろ!」。

娘は電話の最後に私に言った。
「お母さん、私って運がいいね」

ふふふ、その後、私たち夫婦は明け方まで話し合った。
ディスカッション。
すごく仲良しなのにどうしてもかみ合わない部分があったのを徹底的に話し合った。
そして明け方5時、ハッピーエンド。

夫が「モーニング食べに行こうか!」というので「よっしゃ」とばかりに出かけたら、
どこも始まるのは7時。
仕方なくコンビニでおむすびとサンドイッチを買って大きな公園のベンチに腰掛けて食べた。

そして昼間で爆睡。

そしてなんと娘が今日の夜遊びに来る。
帰るのは月曜か火曜。
リフレッシュ休暇。
今日は祝杯だ♪




うれしかった言葉、娘が教えてくれた息子の言葉。
「うちの両親はすごく尊敬できる親やで。そんな親に自分たちは育ててもらったんだからホンマ幸せなんやで」

夫と同じような分野の仕事をし、毎晩深夜に仕事から帰ってくる息子はその大変さに辟易しているようで、そんな中でも休みになるといつもめいっぱい子どもと遊んでくれた父親に今とても感謝しているようだ。・・・と私は想像。
私はといえばどうだろう。
多分、毎日2,3時間の睡眠でもアイツにいつもめっちゃ手をかけてお弁当作っていたこと、きっと憶えていてくれるんだと思う。
なんて勝手な解釈。

あの頃は本当にしんどかったけど、がんばってよかった。
念ずれば花開く・・・